今の隆二から想像は難しいが、父母ともに国家公務員という堅気の家に生まれ、貧しく父親がいなかった両親の思い入れによって、1歳の時からスキーを始め、幼少の頃よりさまざまなスポーツをやらされた。小学校6年の時には当時所属していた少年野球チーム「西琴似パンダース」のキャプテンとして、全国大会に出場。ただ、父親が同チームのコーチだったため、人一倍しかられたのがトラウマになったのか、中学2年の秋、野球部のキャプテンに選ばれたのを機に退部。野球と縁を切る。
その後は小学校の時から冬休みになると通っていたテイネオリンピアスキー場でスキーに専念する。スキーは野球と違い、両親からのプレッシャーがなかったため続いたと思われる。中学校3年の春、ニセコにて、長野オリンピックモーグルの解説者「多英スゲー!」で名を馳せた山崎修氏と出会い、翌年からモーグルを志す。当時は選手層も薄く、翌年にはナショナルチーム入りを果たし、それから約10年間モーグル選手として活躍した。主な成績は下記の通り。
1992年 FIS NOR-AM CUP オタワ大会 優勝
1993年 FIS WORLD
CUP ブラッコム大会 6位
1993年 FIS WORLD CUP レイクプラシッド大会 8位
1993年 FIS WORLD CUP リレハンメル大会 3位
1993年 FIS 世界選手権大会 @ アルテンマルク 12位
1993年 FIS WORLD CUP ROOKIE OF THE YEAR(新人賞)受賞
1998年 FIS NOR-AM
CUP レイクプラシッド大会 優勝
1998年 FIS NOR-AM CUP 総合2位
1994年に開催されたリレハンメルオリンピックは出場確実、メダルの期待もかけられたものの、くだらない経緯で落選。要するにガキで無知なだけだったのだが、このあたりから、人嫌いになったと思われる。その後まるで坂を転げ落ちるかのように没落したが、ある時一念発起。1998年にはNOR-AMで総合優勝してWORLD
CUPの最終戦に出場しようと目論むが、結局2位止まり。この時点で事実上モーグル選手としての生活にピリオドを打った。
現在はいわゆる飛び系スキーヤーとして、雑誌やビデオで活躍しているが、本人は飛ぶのがあまり好きではない。というよりもあんまり固執するのが嫌いなタチで、普段はもっぱらフリースキー。お気楽スキーヤーだが、いそがしい合間を縫ってモーグルに取り組みたいと思っている。ちなみ最近の活動は以下の通り。でも本人も定かではないのでもし間違えてたらご容赦を。
2000年 コアエクストリームゲームス@苗場 ビッグエアー16位 クォーターパイプ 9位
2001年 コアエクストリームゲームス@苗場 ビッグエアー29位 クォーターパイプ 15位
2002年 SKI SNOWBOARD OPEN @
SKIJAM勝山 ビッグエアー 10位
ビデオは グラントプロダクションのBAKE
羽化などに出演。
あとは雑誌 探してみてね。
以上、こんな感じでスキーを取り巻くさまざまなものを生業として、生活しています。